2度の大きなキャリアチェンジをした異色の経歴を持つタケポンのプロフィール

はじめまして!「転職のみちしるべ」のサイト管理人をしているタケポンです。タケシ(ポケモンのジムリーダーの)に似ているからタケポンです。

これまでの僕の経歴を簡単に紹介すると、

  • 国立大の薬学部に入学
    新薬の研究をするために薬学部(4年制)に入学
  • 大学院まで進むも薬学からIT業界にキャリアチェンジ
    就活をしている中で、製薬企業ではなくIT企業に就職することを決意
  • Web系企業でマーケターとしてのキャリアを積む
    フリーランスのITエンジニアに案件を紹介するエージェントの中の人として活躍
  • フリーランスのWebマーケターとして独立
    四苦八苦しながらも月に約80万円稼げるまでに!しかし…?

と、大きく2回の方向転換をしています。

1回目の薬学の世界からIT業界へとキャリアチェンジしたときは、そこまで悩みはしませんでした。

しかし、フリーランスになってからは自分のキャリアについてかなり悩み、2回目のキャリア変更である「電気関係の仕事を継ぐ」という選択肢になかなか行き着くことができませんでした。

様々な失敗をしてきましたし、キャリアチェンジの度にそれまで培った知識やスキル、地位や高い報酬を捨てることになりましたが、最終的には自分で決断しましたし、一切の後悔はありません。

いや、ホントは工学部に行ってたほうがよかったかもと、ちょっと後悔しています…(笑)。まあ、こんなキャリアを歩むとは思ってなかったので、仕方ないですが。

それでは、僕の失敗談なども含めて、これまでの経歴について余すところなく紹介していきます。

大学受験~新卒入社まで

「余命1ヶ月の花嫁」に影響され、薬学の道を志す

実は、もともと工学部志望でした。僕は1年浪人してますが、現役のときは工学部、1浪のときに薬学部へと志望を変えてます。

化学が得意だったので、それを活かせる・研究できる学科を志望というのは変わりませんが、薬学に変更したのは、若くしてガンで亡くなる人について書かれた書籍を読んだからです。『こんなに若い人がガンで亡くならないようにしたい!』『画期的な抗がん剤を開発したい!』と意気込んでました。

他にも、「ブラックジャックによろしく」という医師が主人公のマンガにも影響され、医学部も考えましたが、血を見るのが苦手なのと、医局に悪い印象を持っていたので、薬学の道へと進むことを決めました。

 

高校3年生のときは、正直受験をなめてました。私立は受けず、国公立大学のみ受験し、D判定ぐらいだった前期(国立)と中期(公立)は、みごとに惨敗。後期の国立大学もC~D判定ぐらいでしたが、「たぶん受かるだろう」という謎の自信がありました。

フタを開けてみると、共通テスト(当時はセンター試験)と二次試験をあわせて、合計1,100点満点ぐらいだったところ、5点だけ足りずに落ちてしまい、かなり悔しい思いをしたことを今でも覚えています。ただ、この経験がのちに電験(電気主任技術者試験)や電気工事士などの資格試験で活かされることにもなります。

この悔しさをバネに、浪人生時代はかなり勉強し、偏差値を全体で10~15ぐらい上げました。結果、センター試験でも150点アップすることができました。

センター試験の点数がよかったので、志望校を上げるよう周りからも薦められましたが、もし国立に落ちて私立に行くハメになると授業料が高いので、志望校を変えずに薬学部に進学しました。

国立大の薬学部に入学し、勉強とバイトに勤しむ

大学1年のときは、ほぼバイトもせず、サークル活動と勉強に勤しんでました。まだ大学受験で失敗した悔しさが残ってたんですね。

大学2年の5月からは飲食店でバイトを始め、正直サークルよりもバイトを優先させてましたね。肉体労働ですし、土日や夏休み、正月などは1日10~12時間ぐらい働いてましたが、何より楽しかったんです。メンバーにも恵まれてました。

この「働いてて楽しい!」という経験は、新卒の就活時のベンチャーの面接でプラスに働いたと思います。

大学3年になると大学では実習が始まり、サークルでは会計などの役割を担い、多忙でした。勉強が多少おろそかになりましたが、充実した日々でした。

しかし、大学4年に上がる少し前の3月、バイトしていた飲食店が閉店になります。

研究室に配属され、自分の実力を思い知る

大学4年になり研究室に配属されると、研究でかなり忙しくなります。僕がいた研究室はコアタイムはなかったものの、研究室には1日10~12時間ぐらいはいました。

ただ、研究者を志している人の中にはいるんですよ、怪物が。

博士課程の先輩で、研究室に1日中こもっている人や、研究でバリバリ成果を出している人がいました。

大学は4年間で卒業した後も、大学院の修士課程(2年間)と、大学院の博士課程(3年間)に通うことができます。

同期の中にも、研究室に1日15時間ぐらいいて、バリバリ研究を進めて、先輩からも可愛がられているヤツがいました。

勝てない…。ここで自分の実力の無さを痛感します。これが研究者の世界なのかと。

自分より上の大学には、東大や京大などがあるわけで、研究者の世界でやっていけるとは到底思えません。

 

それまでは、薬学部の同期の数十人の中ではトップ10人に入るぐらいの成績でした。化学の中でも特に有機化学には自信があり、満を持して研究室に入ったのです。

研究室に入るまでは何の疑いもなく研究職になるものだと思ってましたが、その計画が崩れ去りました

研究職は狭き門です。特に製薬企業だと、採用数は多くても1企業あたり10人以下でしょう。日本の製薬企業は世界の中では規模が小さく、研究に十分な予算を割く余裕がない企業がほとんどだからです。

それまでの自信をバキバキに折られた僕は、就活をして内定を獲得できるのかに不安を感じるようになります。

1年早く就活を開始し、他の就活生のレベルの高さを知る

もともと製薬企業の研究者になるつもりでしたし、「理系なら大学院に進むもの」と何の疑いもなく思っていたので、大学3年のときは就活を一切してませんでした。

就職できるか不安だった僕は、1つ上の先輩から就活についての話を聞き、大学4年の8月ごろからインターンに応募し始めます。

 

最初は製薬企業の開発職や化学メーカーの研究職などに応募。ことごとく落選します。製薬企業の営業(MR)などにも幅を広げて、やっと1dayのインターンに参加できました。

そこで思い知るのです。就活で求められているレベルを。

営業職向けのインターンだったからか、とにかく話すのがうまいのです。

加えて、海外留学の経験やサークルのリーダー、ボランティアなど、大学生活でやってきたことの差も感じました。

ここでも勝てないのか…。そう思った僕は、大学4年から大学院の修士1年に上がる間の春休みを利用して、1ヶ月の海外留学に行くことを決意します。

英語が学びたいというよりも、就活の面接で話せる話題作りのためですね。

 

カナダのバンクーバーに行ったのですが、結果的に就活うんぬんを抜きにしても、いい経験になりました。

留学あるあるだと思いますが、結局は現地にいる日本人とツルんでしまい、英語力はあまり上がりませんでした。しかし、海外の影響を受けてか、とにかく行動しました。

バンクーバーに住んでる日本人向けの掲示板に「一緒に〇〇しませんか?」的な書き込みがあるのを見て、現地に住んでる日本人たちと一緒にショッピングに行ったり、バドミントンの社会人サークルに参加したりしました(中学~大学までバドミントンをやってました)。

留学中は語学学校にも通っており、出会った日本人と毎晩のごとくナイトクラブにも行ってました(笑)。日本では行ったことなかったのに!

留学では行動することの大切さを実感したので、帰国した後も社会人サークルや社会人向けのイベントにも参加してました。

 

研究室での振る舞いも変わりました。帰国後はノリ(?)がよくなったので、先輩たちとふざけた会話などができるようになり、居心地がかなりよくなりました。

研究も楽しくなり、成果も出始めました。自信、というか自尊心も取り戻してましたね。周りの人からどう思われているかも、あまり気にならなくなってたからかもしれません。

そんなこんなしている内に、また就活シーズンがやってきます。

「きみ、ベンチャー向いてるね」と言われてIT企業に興味を持つ

修士1年の夏。とにかくいろんな企業の話を聞こうと、1年前よりも対象企業を広げ、製薬業界や化学メーカーはもちろん、飲食店やIT企業のインターンにも参加しました。

最終的に僕はIT企業に就職しますが、夏のインターンで参加したIT企業の印象は最悪でした。

よくある1dayのインターンで、企業の説明と簡単なグループワーク、そして企業の人事が目をつけた人がいるとリクルーティングされるという内容でした。

同じグループの女の子がリクルーティングされてたんですが、人事が少しチャラそうだったのもあり、

タケポン
タケポン

こいつ、単に口説いてるだけなんじゃねーの?

と心の中で思ってました。今思うと、普通に人事としての仕事をしてただけでしょうが。

当時の僕はその光景を見て、「IT企業はこんなヤツばっかりなのか?」と思い、IT企業はいったん志望から外します。

 

秋になり、就活イベントも増えてきた頃、とある就活支援団体の代表の方と1対1でお話しする機会がありました。

そこでどういう内容を話したのかはよく覚えてませんが、そのときに「きみ、ベンチャー向いてるね」と言われました。

実は、漠然とですが、当時は将来的に経営者や経営幹部になりたいと思ってました。あとは、社会人サークルなどにも積極的に参加していたので、行動力があるなと思われたのかもしれません。

薄々、製薬企業のようなお堅い会社は合わないんじゃないかと思っていた僕は、悪い印象があったIT企業も再度選択肢に入れることにしました。ベンチャーはIT系が多いですからね。

そして、とある就活エージェントが開催しているイベントで、僕が就職することになる企業と運命の出会いを果たします。

選考の途中で「自分はこの企業に就職する!」という確信を得る

その就活イベントには5社ぐらいが参加しており、1社ずつ簡単な会社説明があった後、就活生が10人ずつぐらいのグループに分かれ、企業の人事などと直接話す座談会形式でした。

運命の企業は人事が2人、そして社長も来てました。東京や大阪ではなく、地方都市なのに!

ベンチャーの社長とはいえ、エネルギッシュというよりは飄々としており、『社長』という感じはあまりありませんでした。

座談会の後、人事の人と少し話をさせてもらい、その時はビビッと来たものはあまりなかったものの、とりあえず面接を受けてみることに。

 

最終的に面接は4回、カジュアル面談を4回受けます。時系列的には、

  • 1次面接
    人事との面接
    ちょっとした圧迫面接。論理的思考力を見られてるようでした。
  • 2次面接
    新規事業の部長と面接
    かなり気が合い、話が盛り上がりました。
  • カジュアル面談1回目
    2次面接の面接官に面談を依頼
    会社のことを聞くというより、就活の相談をしました。
  • 3次面接
    マーケティング部のSEOチームのリーダーと面接
    バイトや留学の話などを楽しく談笑しました。
  • カジュアル面談2・3回目
    人事からあてがわれた2人の社員の方と面談
    多分、営業の方と面談。特に印象に残っていることがないです…。
  • カジュアル面談4回目
    こちらから面談を依頼し、マーケティング部の部長と面談
    マーケティングの業務のことについて聞き、どういう仕事をしていくのかのイメージを持てました。
  • 最終面接
    社長と1対1の面接
    「会社にどう貢献できるか?」と聞かれ、マーケティングでお役に立ちたいと答えたのが印象に残ってます。

という感じでした。変に緊張したり話を持ったりせず、自然体の自分で素直に質問に回答することを心がけてました。

 

一番印象的だったのは、2次面接です。面接官は某旧帝大の工学系大学院を中退して入社した方で、初めてお会いした時点で社会人3年目ぐらいだったはずですが、すでに新規事業の部長を務めるなど、キラキラして見えました。

僕もそのときには薬学以外の道に進むことを決めていたので、この方と同じように大学院を中退して入社することも考えたぐらい影響を受けました(結局、研究室の先輩に説得されて、修士は卒業しましたが)。

やはり会話の内容までは覚えてないですが、かなり話が盛り上がったのを覚えています。もはや面接というより、普通に話していただけという感覚でしたね。

「この人と一緒に働きたい!」。そう思いました。

面接が終わったときには、直感的に

タケポン
タケポン

自分はこの会社に受かるし、この会社に入社するだろうな

と思ってましたし、実際に入社することになります。

また、この面接官の方に、個人的に面談を依頼し、就活の相談もさせてもらいました。丁寧に対応してもらえましたし、「やっぱりこの会社かも!」という確信を深めます。

 

面接では志望動機を聞かれるわけですが、僕は「社風や働いている人、企業理念が自分と合いそうだから」と答えてました。

社風は社員が作り出しているわけなので、お会いした社員の方と合いそうだと感じるということは、会社の風土とも合うということ。そして、会社が目指している先は企業理念に表れるので、理念に共感できるということは、これから一緒に会社を伸ばしていきたいと思えているということ。

こういうロジックで、『だから僕は御社に入社したい!』ということを伝えていたわけです。

一方で事業内容にはあまり関心がなく、どんな事業をやっている会社なのか、入社するまで分からないぐらいでした。

 

最終面接に進む前に、「どう会社に貢献できるのかを答えられる必要がある」と人事に言われ、またカジュアル面談を依頼します。

そうしてお会いした方が、当時のマーケティング部の部長。某日本のトップ大学の薬学系大学院を卒業している方でした。僕と経歴が近いこともあり、親近感が湧きました。

面談では、マーケティング部ではどういう仕事をするのかを質問し、

タケポン
タケポン

マーケティングでこの会社に貢献したい!

と思えるようになりましたし、また「この人と一緒に働きたい!」と思いました。僕が入社したときにはこの方は退社して起業してましたがね。ベンチャーあるあるです。

その面談での様子を人事に伝えると、「次の日に社長の予定が空いてるから、最終面接受けない?」とのこと。ちょうど次の日まで東京に滞在している予定だったので、急でしたが最終面接を受けることに。

いよいよ社長との最終面接

忘れもしない2月末日。朝9時からという少し早い時間でしたが、最終面接が始まります。

質問されたのは、志望理由やどのように会社に貢献できるかなど。これまでの面接や面談で聞かれたのと大体同じことです。

その他、質問されたことで印象に残っていることが2つあります。

 

1つは、これまでに何社ぐらいの説明会に参加したのかということ。僕は「最低でも20社以上の説明会に参加しました」と答えたところ、20社も!?と驚かれました。

2月末といえば、世間的には本格的な就活の選考が始まる前段階で、しかも地方から東京に出てきて就活してたわけです。それほど多くの企業を水に判断したんじゃないか?と思っての質問だったのでしょう。

1週間ぐらい東京で就活するというのを、12月から4~5回繰り返して内定をもらったのですが、スケジュールが空いてるところにはどんどん説明会や面接を入れてました。

結果、東京にいる間は1日に最大4~5社の説明会や面接を受けてました。

こんな感じで質問に答えると驚かれましたね。行動力があるなと思ってもらえたのかもしれません。

 

もう1つは、親がベンチャーへの入社に反対しないかということ。これもベンチャーあるあるですが、親ブロックといって、親が入社に反対することがあります。

僕は、これまでの進路は自分で意思決定してきたことや、親との関係性も良好で、「なぜこの会社に入社したいのかを伝えれば納得してもらえます!」と答えました。

まあ実際は、内定が出た後に「とにかくベンチャーに入社するから!」と報告し、有無を言わさず入社しましたが(笑)。

 

あとは、「内定を出したら、今選考が進んでいるやつは全て辞退できるか?」と聞かれ、どうやって断りを入れるかを少し考えた後、「できます!」と答えました。

最終面接が終わってまもなく、選考を通過したことを知らされました。オフィスを少し案内してもらい、解散。

意気揚々と帰りの飛行機に乗り込みます。

 

その後は研究に専念し、無事に大学院を卒業。いよいよ社会人になります。

 

新卒入社~フリーランスになるまで

人材系のWeb系企業に入社し、マーケターとしてのキャリアを開始

入社したのは人材系のWeb系ベンチャー企業。入社当時は社員が500人ぐらいでしたが、子会社での採用も含めると同期は80人ほど。一気に社員を増やして会社を成長させようとしているフェーズでした。

僕は2年半足らずでこの会社を辞めますが、辞めるときには社員数が1,000人を超えるほど急拡大してました。

 

入社してから約3ヶ月は研修がありました。よくあるマナー研修から座学による研修はもちろん、独特な研修もありました。

エンジニア・デザイナー・マーケターで5~6人程度のチームを組み、数週間にわたる新規事業の開発を行いました。新卒だけで。期限に間に合わないから、土日も働いてました。大変だったけど、楽しかったですね。

研修が終わると、いよいよ配属の発表。僕は希望していたマーケティング部のSEOチームに配属になります。

 

最初のうちは

「自分が役に立ってるか分からない」とメンタルを病む

「フリーランス」が身近だったこともあり、独立を決意

フリーランスとして独立~現在

「エージェントに頼らない」という謎のプライドのせいで仕事が取れない

正社員に戻ることを考えてると、なぜか仕事がもらえた

クライアントに振り回されたくなくてサイト運営を始める

自分の経歴を振り返って思うこと

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